これからのヨグ=サロン様の話をしよう

Hearthstoneについての自由帳

桜の季節に引退勢を思うということ

春。

 

それは出会いと別れの季節。

ハースストーンプレイヤーにとっても例外ではない。

 

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ヒドラ年、新拡張第一弾、深海に眠る海底都市!! 4月13日に全世界リリース!!

 

 

の「出会い」の話は置いておいて、

今回取り上げるのは、競技シーンの引退宣言という、「別れ」についての話だ。

 

当たり前の話だが、ハースストーンは所詮ゲームだ。

ストリーマーやプロゲーマーなど一部の人を除いて、人生のリソースの多くを割くべきものではない。ハースストーンプレイヤーである前に、私たちは自分の人生をプレイしなければならないのだ。ゲームに集中しすぎるあまりガス代も払えないような事態になっては、令和を生きる文明人とはいいがたい。ゲーマーといえど、真っ当な人間でいるために、真っ当な生活を維持しよう。

 

そう考えると、競技シーンの引退というのは至極当然の話といえる。

これはなにもゲームに限った話ではなく、スポーツ、音楽などに一時は「ガチ」で取り組んだとして、それを大人になっても続けられる人がどれほどいるだろう。進学、就職、結婚などを筆頭に、生活に大きな変化が起こり、遊びはそろそろ卒業しなければならない、そういう時期がいつか誰にもやってくる。

 

しかし、ここで逆に問いたい。

人生のリソースを多く割く、「ガチ」でなければ、引退しなければならないのだろうか?

井上雄彦先生の「リアル」でも、高校中退したバスケ大好き主人公はお怒りだ。

 

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「ガチ」じゃなくても続けたっていいのだ。

スポーツとは違い、ハースストーンに身体的要素は必要ないため、どれだけ離れていても肉体的なブランクはない。もちろんやり続けたほうが上手いだろうが、下手でも勝てるときは勝っちゃうのがハースストーンのいいところだ(悪いところかもしれない)。

 

だから引退なんて寂しいことは言わないで、いつだって戻ってくるのを待ってるぜ。

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暖炉のそばの席へどうぞ。

 

 

 

 

 

なんて話の締めを、はじめ考えていた。

 

しかし、こんな結論はゲーマーにとってあまりにも耳障りがよすぎる。

目をそらすために、当たり障りないように、現実を小奇麗に丸め込んだだけだ。

もう少し、話を進めよう。

 

「ガチ」じゃなくても続けることができることなんて、そんなこと引退勢だってわかっている。

それでも、あえて、引退を宣言するのだ。その意思を汲むべきだ。

 

 

「競技」と呼ぶからには、そこでの至上命題は「勝利」だ。それ以外に価値はない。そして「勝利」するために、まず勝負の場に存在し続けなければ話にならない。帰宅部が甲子園出場を掲げることはできない。

 

勝利するため、勝負の場に居続けるためには、膨大な時間がかかる。

ハースストーンで誰もが参加権を取得可能な一般的な競技シーンの場として、マスターズツアーがある。これに参加するためには設定月のランク戦の上位となるか、週末に行われているマスターズツアー予選に参加し、優勝するか高勝率を維持するか、いずれかが必要だ。参考として、当たり前のように毎月ランク戦上位で競技シーン出場権を得ているNAGON選手は2022年3月のランク戦において約600試合プレイしたと述べている。

 

 

つまり、1試合15分と計算しても、ざっと150時間となる。150時間!!??

 

しかもこれはNAGON選手がもともと高い内部レート、プレイスキルを持っている上での話である。プレイスキルを磨くのにも時間はかかる。プレイスキルを磨く間に負け越してしまえば、それを取り返すためにはさらに多くの時間がかかる。150時間は単純なゲームプレイ時間であり、構築を考えたり、デッキ選択を悩んだり、配信で学んだりといった、研究の時間も別に必要となるだろう。そしてもちろんだが、時間をかければ必ず上手くなる、勝てるようになるかというと、違う。ランク戦に200時間かけて、マスターズツアーの出場権は手に入りませんでした、なんて話は不思議でも何でもない。

 

ハースストーン競技シーンは修羅の道だ。

そこに参加するために、勝つために、あまりにも多くの人生のリソースが必要とされる。しかし、私たちは人生のリソースをハースストーンにばかり割くわけにはいかない。勉強、仕事、家事、育児、友人・恋人との関わり、婚活、家族サービス、人生のリソースを割かなければいけないものは枚挙にいとわない。

ハースストーンは所詮ゲームだ。ハースストーンプレイヤーである前に、私たちは自分の人生をプレイしなければならない。

 

 

以上を踏まえて、結局何が言いたいのかというと、

 

私は、そんな困難を乗り越えている競技プレイヤーに敬意を払いたい。

 

競技シーンに参加するほどゲームに向き合うことは、とても難しい。誰にでも直観的に分かりやすい時間の話をしたが、ゲームへの理解度を深めることもかなりの労力がいる。彼らの情熱を、努力を、工夫を、思考を、研鑽を、純粋に尊敬する。

 

競技シーンからの引退宣言は、その向き合う先をハースストーンから替えることの宣言なのだろう。

「ガチ」じゃなくても競技を目指し続けることはできる。そういう楽しみ方だってありだ。ゲームなんだから、趣味なんだから、娯楽なんだから、それぞれが好きなように楽しめばいい。

それを踏まえた上で、自分の人生について考え、ハースストーン競技シーンという戦場を離れ、別の戦場に集中することを選んだのだ。その覚悟の歩みを妨げるのは野暮でしかない。私が言うのもおこがましいが、ハースストーンで共に戦ったかつての戦友として、道はたがえようと、彼らの進む先に栄光あらんことを願う。

枝分かれの道

 

それでは1000字前の締めは改めて、

 

全ての競技プレイヤーと、

全ての競技プレイヤーだった方へ、

それぞれに洋々たる未来が開かれることを願う言葉で、本稿の締めとさせていただく。

 

Good luck,have fun.